こんにちは、多夢(たむ)です。
私のプロフィールを見てくださってどうもありがとうございます(*´ω`*)♡
私は現在、2人の娘を育てるママです。
これまで私は、「人と比べられる」ということに長年コンプレックスを抱き、社会で生きていくことに息苦しさを感じ、あらゆる人に怯え、霊感が強いがゆえに目に見えない世界に怯え、「自分とは何者なんだろう?」とずっと自分を責めて、狭い枠の中に閉じ込もって生きてきました。
現在は起業し、個人の力で稼ぐことができるようになり、元々興味のあったスピリチュアルの業界で「自分らしさ」を存分に発揮し仕事ができていますが、過去の私は、人と比べて辛くなったり、ずっと他人軸で生きてきて自分らしさを閉じ込めていた時期もあったんです。
目次
自己紹介
人と比較するようになったキッカケは「双子」として生まれたから
私は双子の長女として生まれました。”一卵性双生児”だったので、見た目も声もソックリで、周りから当たり前のように間違えられる日々でした。
幼い頃から、いつも「どっちがお姉ちゃん?」と聞かれると自分が手を挙げていたので、双子でありながら”私はお姉ちゃん”という気持ちが芽生えていたと思います。
私と妹は学校は勿論のこと、習い事や近所の友だちと遊ぶこともずっと一緒でした。
「2人で1セットではなく、1人の人間として見てもらいたいなぁ」とずっと思っていました。
幼い頃から、常に「容姿」「素質」「性格」など、全てにおいて周りから比べられるので、妹が私を羨ましがったり、私が妹を羨ましがったりと、お互いに悲しい思いもしてきました。
また、負けず嫌いな妹は私に対して闘争心がとても激しかったので、その熱意が私に痛いほど伝わり、いつも「姉妹で競争したくないのになぁ…」と心の中で思っていました。
自分の「個性」を出せなかった時期
私は幼い頃から霊的なものやエネルギーに敏感で、見えない世界のものを感じとったり、人の考えている内容や声がふと頭の中に入ってきたり、人の想念を受け取りすぎて身体に支障をきたしたり、数々の不思議体験や霊障、金縛りや憑依など、あまり人には理解できないような現象が度々起こる一風変わった女の子でした。
それを人に言うことで「何それ~!?」「変わっている」「怖い、気持ち悪い」と言われてしまった経験があり、それ以来誰にも言うことができず、「私はやっぱり変な人間なんだ…」「私はなんで普通ではないんだろ…」とずっと孤独感を感じ、自分の個性を出すことが怖くてできませんでした。
本当は宇宙や神さまのような精神世界にすごく興味があったり、自分が本来持つ個性を出したいと思っていましたが、母親の願うような普通の子でいなくちゃ、良い子でいなくちゃという一心で、本来持っている自分の個性を出せずにいました。
私が「自分らしく」生きて良いと気付いた瞬間
個性を押し込んで「真面目な良い子」を演じながら大人になっていった私は、「真面目な良い子」でいることに疲れていましたが、かといってこれまでの生き方を変えることもできず、狭い枠の中で生き続けていました。
大学に入学する前に、ある女性の言葉で目を覚まします。
その女性とは、私を幼い頃から霊能力で支えてくれていた母親のような存在です。
その第二の母は、神様、不動明王さま、ご先祖さまなどの高次元の存在の言葉をおろせる女性でした。
小学校の頃から、家に帰ればいつものように我が家で母とお喋りしていたので、いつも彼女の口を通じて私へ高次元の方々からのお言葉をいただいたり、生きるアドバイスを貰ったり、よく低級霊に憑依されていたので祓ってもらったりしていました。
明るくて凄くパワフルな女性で、私は辛いことがあった時はよく相談して、勇気や元気を貰っていました。
それは、私が「自分」という個性を出して生きていないから、自分の人生を本当の意味で生きておらず、その「悪あがき」というのが、埋没してしまった私の「個性」を出すということだと気付いたのです。
「型からはずれて、本来の姿でのびのびと生きなさい、そして母親の目を気にせずもっと”貴方らしく”生きてみなさい!」という言葉をもらいました。
正直この言葉には今までの私の価値観や概念が覆されました。
「私って母親の目を気にして生きていたんだ」「真面目ではない自分で、もっと何でもして自分らしく生きて良いんだ」など、色々と私の中での気付きがあった言葉でした。
私はこれまで親の目を気にして、「自分らしさ」というものを無意識に型の中にはめ込んでしまっていたのかもしれません。
その言葉に救われ、私の考え方は変わっていきます。
比較から開放された大学時代
私は妹と違う大学に進学し、大学時代は周りから比べられることが一切なくなりました。
大学では自分自身で決めた好きな友人たちと付き合い、好きな教科を選択し好きな講義を受け、サークル仲間と騒ぎ、好きなバイトをしてお金を稼ぎ、とにかく何でも自分のしたいことを好きなようにして、自由でとても楽しいキャンパスライフを送っていました。
これまで比較され続けてきた私にとって、個性を出しながら自分の責任において自分の決断で自由に行動できるというのはとても新鮮なことでした。
また、私は大学で国際関係の福祉科を専攻していたので、学んでいく中で国際ボランティアに対しては「いつか海外に行って自分が恵まれない国の子どものために何かやってみたいなぁ」という憧れが強くありました。
そして私は、自分の今までやりたかった想いを、大学時代に最後に形にしようと、卒業前に、ある「とんでもない行動」に出ます。
私はフィリピンへ行ったのですが、親に相談しても、危険な場所なので最初から反対されることは目に見えてわかっていたので、事後報告にしました。
そして現地でフィリピン人や日本人の友人を作ろうともくろみ、1人で行くことにしました。
フィリピンの孤児院を訪問して子どもたちと一緒に遊んだり、スラム街でストリートチルドレンたちの現状をこの目で見てきました。
メディアでは伝わらない現実を自分の目で確かめたくて参加したのですが、実際に訪問してみると自分が想像していた以上に、遥かに貧しい状況でした。
私の「ボランティアすれば誰かが笑顔になるんじゃないか」という傲慢な気持ちはボロボロに崩れ去り、ボランティアをやろうと軽く考えていた自分を恥ずかしく感じるようになりました。
帰国後は、霊感が強い私は、とんでもない地縛霊に憑依されていたようで、壮絶な体験なのでここでは詳しくは控えますが、普通じゃない金縛りに大変苦労をしました。
今考えると危険な国に1人で参加するというのは無謀な挑戦だったな…と思います。
ただ、それが私の「個性」を出して自分のやりたいことをやる「悪あがき」だったのかもしれません。
そして私は自分らしさを開放した大学生活を終え、社会人となります。
再び私に舞い戻ってきた比較の苦悩
私は損害保険会社の営業職として働いていました。
奇跡的に就職活動中から一途に想い続けていた念願の会社に入社する事ができたので、当時は本当に嬉しくて、社会に貢献したいという強い思いで入社しました。
営業職ということもあり、毎日毎日、自分の担当代理店の数字(収益)に追われる日々が続きました。
私は大学時代、ようやく人と比べられることから開放され個性を出せたのも束の間、会社員時代は毎日のように先輩や同期社員と自分を比べていました。
また、周囲にあまりにも能力の高い人が多く、私は良い刺激を受けるどころか、「なんて自分は能力が低いんだろ…」と、他人と自分とを比較してズタボロになるまで自分を責め続けました。
虚弱体質で休みがちだった私は「みんながやっている普通の生活すら私には苦しい…」と、自分の居場所と自信を無くしてしまったのです。
あんなに幼い頃から比べられてきて嫌だったのに、生まれながらに比べられ続けてきた私は、常に他人軸で生き、自分と誰かを比較するようになってしまっていたのです!
それからというもの、私は自分のやっていること全てに自信がもてなくなり、魂とかけ離れた行動ばかりしている私は、身体にも支障をきたすようになりました。
仕事のことを考えるだけで過呼吸になったり、吐き気がしたり、全身にアトピーとじんましんが出て、痒くて痒くていてもたってもいられない状態で、仕事どころではありませんでした。
「私は身体をこんなにまでして一体何の為に働いているのだろう?」
「私ってなんでまた人と比べて自分の軸で生きていけないんだろう?」
「何を実現したくてこの会社に入社したんだっけ?」
そんな風に私の心は荒み、捻くれていきました。
「結婚」→「退職」という一つの転機
そんな気持ちを抱えたまま、在職中に今の主人と出会い、結婚することになりました。
主人は「家で家事や子育てをして欲しい」という考え方の人なので、主人との結婚を機にキッパリと仕事を辞め、家庭に入る決断をしました。
ただ、会社からも弱い自分からも逃げるようで、自分の中で仕事をやり残した感じや戸惑いもありました。
でもこんな自分のコンプレックスを抱えたまま仕事をしても、「自分らしさ」が発揮できずに、雇用され続け、数字に追われるまま代わり映えのしない毎日をひたすらに働くだけだと感じていました。
また、生まれつき虚弱体質で精神的にも脆かったため、情緒不安定で会社員はやっぱり向いていないと自分でも理解していました。
退職してから私は「自分らしさ」が活かせる仕事を探してみようと色々とチャレンジしてみたものの、実際は上手くいかない事ばかりでした。
- 雇用される仕事だと、社会不適合者の自分はどうしても苦しい。
- 英語を活かした仕事で働くも、結局周りのペラペラのバイリンガル達と自分とを比べてしまう。
- 1人でできるライターの仕事をしたけど、自分のモノとして形に残らないから「個性」や「アイディア」が他人のものになってしまう。
そして私はようやく気付いたんです。
- 大きな組織の中で働いても、自分のやりたいようにできるわけではない。
- 会社員でいる限り比較される環境は間違いない。
- ネームバリューや学歴・職歴の自分ではなく、”ありのままの自分”を見てもらいたい。
私はこれまで人(親)の目や体裁ばかりを気にして、学歴をつけ一流企業と言われる会社に入社しました。
高学歴や一流企業というのは、私にとって、ただのプライドと社会的な目を気にして本当の魂の声を消してしまう傲慢な心そのものでした。
社会の在り方に従い、他人軸で生き、何もかもが中途半端だったから、自分らしさを発揮することもできず、自分軸で生きることもできず、個性(魂)を磨くということを疎かにしてきました。
やっぱり社会不適合者の私には会社員は勤まらない!
でも、もっともっと”ありのままの自分”で生きたい!見て欲しい!!
それが人から「頭おかしい」とか「狂ってる」とか、笑われたって、どう思われたってイイじゃん!!!
大きな組織では自分らしさが出せず、苦しくて個性が埋没してしまった私…
退職後に仕事を探すも人と比べられない環境が見つからない私…
いつまで経っても人の目を気にして自分軸で生きられない私…
「自分の個性を好んでくれ、心から自分が必要とされるような仕事をしよう!」と心に決めた瞬間でした。
最終的にたどり着いたのが、個人で稼ぐインターネットビジネスだった
その頃「妊娠と出産」を経験し、0歳の娘が1人いたので、家で働ける仕事というのは大前提にありました。
元々文章を書くことが好きだったので、自分の体験談や学んだことの情報を文章で発信して、困っている人の役に立てないかな?と考えるようになりました。
ライターの経験もありましたが、ライターは発注者さんに提供した時点で自分のものにはならないというのが悲しかったので、自分の想いや個性を人に伝え、自分の資産として残るようなことがしてみたいと思っていました。
そう考えた時に最終的にたどり着いたのが、個人で稼ぐインターネットビジネス(ジャンルはブログアフィリエイト)でした。
パソコン操作も得意な方ではなかったし、webマーケティングは専門用語が多すぎて、何をどうして良いか全くわからず途中で諦めていたので、今回やることに少し抵抗はありました。
でも「やっぱり自宅で出来て、自分の行動が何か人の役に立つことってこれしか思い浮かばない!」とブログをもう一度真剣にやろうと決めました。
自分の「妊娠」「出産」「子育て」という経験談は、私自身が身を持って学んだことだし、それらを伝えることで、「初めて妊娠して色々と不安な妊婦さん」や「出産を控えているから子育てについて色々と知りたいママ」などのお役に立てるのではないかと思い、インターネットを使った個人ビジネスをスタートしました。
インターネットビジネスの良さに気付く
「自分らしさ」が発揮でき、個人でお金を生み出せる仕事
最初は、「自宅で出来るし人の役にも立つ仕事」ということでブログを始めました。
仕事をしていくうちに、私はブログそのものが単なる記事作成ではなく、自分の思考や感情などを文章として表現し人に伝えることができるツールで、「自分らしさ」が発揮できる仕事なんだと気付くようになります。
そしてなにより、インターネットを使ったビジネスは、「自分らしさ」を出して発信することで、誰にも比べられないフィールドに立てるということです。
私はwebマーケティングを学び、数々のコンサルティングを受け、自分の知識に莫大な投資をし、集客・販売スキルを徹底的に習得してきました。
今は情報発信ビジネス(自分が学んだ情報を世の中に伝えていくお仕事)を通じて、のびのびと自分らしさを出し、自分の力で稼げるスキルを身につけられたことが本当に嬉しいです。
私はこれまで妹と比較され、見た目も声もソックリだと言われる人生を送ってきました。
入社してからは、周りのできる人たちと自分とを比べてきました。
だからこそ、これからは自分自身の個性をたくさん出して、自分の力で自分軸で生きていきたいと思っています。
大きな組織の中では、自分の発言なんて所詮1社員の意見に過ぎず、取り上げてもらえませんでした。
でも、パソコンの中だと自分の中で感じた思いを自由に表現でき、しかもずっと自分の物として大切に残すことができます。
「自分と向き合い」「自分のペース」でできる仕事
今の仕事は「自分と向き合い」「自分のペースで」できます。
雇用されるような環境下にもなく、自分のペースで仕事ができるからこそ、自分自身を見失うことがなく自分らしくいれます。
人からの評価も勿論大事かもしれませんが、これまで比べられてきた私は、自分軸で個性を出して自分らしく働くことの方が人生においてより重要視しています。
また、ストレスを強く感じるような雇用形態の仕事よりも、自分で自発的に勉強しながら好きな事をする個人事業は私にとってとても根気良く続けられ、性に合っていると思ったので起業して今まで邁進してきました。
インターネットを使ったビジネスは、「誰とも比べられない」ということと、「私という人間をしっかりと見てもらう」ということを実現してくれる仕事です。
これまでの個人ビジネスの成果
- 2019年にブログをスタート、開始3ヶ月目で月収5万円達成
- webマーケティングを学び、月収5万円の実績から、個人がブログで稼ぐための情報発信ビジネスをスタート
- ブログコンサルタントとして4年間務め、0からの状態で稼げる主婦・副業サラリーマンなどを輩出(コンサル実績:月収108万・月収74万・月収33万…etc)
- Xでの集客&メルマガを使ったプロモーションセールスで3日で75万円のマネタイズを達成
- ブログコンサルタント・オリジナル教材販売、コンテンツビジネスのコーチングなどで収益化
- 大型のマーケティングビジネス塾からお声かけいただき、アドバイザー講師を1期の間務める
- 自分の個性と能力を更に活かすため、ブログアフィリエイトからスピリチュアル業界に転身
私の夢
私の夢は、私と私の周りの人たちが、みんな笑顔で毎日幸せで最高に楽しい人生を過ごせることです^^♪
日々楽しくウキウキと仕事がしたいし、休日は家族で遊んだり旅行したりと、家族での日常の楽しい時間もたくさん欲しいです。
それが私にとっての「豊かさ」です。
このように夢を持つと、ワクワクしてやる気や希望も湧いてきますよね。
あなたにはどんな夢がありますか?
個人の力で稼ぐことは、これまでお伝えしてきた、以下のような働き方が可能です。
- 「自分らしさを存分に発揮し、誰とも比較されない仕事ができる」
- 「自分の個性を知ってもらい、人に必要と思われる仕事が自分のペースでできる」
だから私は、自分の今のスピリチュアルなライフスタイルやこれまでの仕事で経験したこと、感じたことををたくさんの人に発信して、あなたにも「本当の幸せとはなにか」や「自分らしい生き方」を見つけていってほしいと願っています。
以上が私、多夢(たむ)のプロフィールです。
まだまだ未熟者ですが、いつでも「夢は多く」持っていたいという気持ちが念頭にあります。
なので「多夢(たむ)」という名前で発信させていただいています。
あなたも私と一緒に多くの夢を持って頑張っていきませんか?
私は「人と比べられる」という環境や、多くの霊的トラウマを経験してきました。
他人軸で生きていた間は、とっても苦しかったです。
ですが私にとって、なにひとつ無駄なことではありませんでした。
過去の私があるからこそ、今の私がいる!
あなたもきっと私と同じです。
あなたの人生において、無駄だったということは何一つありません。
私が、悩み苦しみ、挫折や絶望を味わったからこそ、あなたのお役に立ちたいと思って日々発信しております。
是非、こんな私にご興味がありましたら色々と私のブログやYouTubeチャンネルをご覧くださいね^^
あなたにもどうか幸せが届きますように!
最後に(公式LINE登録について)
私の公式LINEでは、日常生活にスピリチュアルを取り入れ、本当の幸せとはなにかを自身の言葉で発信しています。
もしあなたが、「スピリチュアルなことに少し興味があるかも…」と考えておられるなら、公式LINEにご登録いただき、ぜひプレゼントを受け取っていただければ嬉しいです。
この出会いが、あなたを笑顔にできる一つのきっかけになればとても嬉しく思います。
最後までご覧いただきましてありがとうございました♪
愛をこめて
多夢(たむ)